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穴澤誠 「無題」
¥20,000
作家名:穴澤誠(Makoto Anazawa) 作品名:無題 サイズ: 500mm×290mm 額: mm×mm ×mm 技法:ミクストメディア 制作年:2026 高度な文明は、本当に人を幸せにしたのだろうか。 福島原発事故の日時を刻み込んだ数字、異素材が融合する重厚なマチエール、そして繰り返される問い。 “Is there any hope for better tomorrow?” 穴澤誠が、物質を通して未来への希望を静かに問い続けます。
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高橋俊明 「蒼き彼方へ」
¥30,000
作家名:高橋俊明(Toshiaki Takahashi) 作品名:蒼き彼方へ サイズ: 400mm×250mm 額: mm×mm ×mm 技法:ミックストメディア 制作年:2026 青には、不思議な二面性がある。 深海や夜空を思わせる深遠さを宿す一方で、冬の朝の空気や雪面に差し込む光のような、どこまでも澄みきった軽さもまた青なのである。 高橋俊明が描く青は、まさに後者に属している。 その源泉となるのは、生まれ育った秋田の冬の記憶だ。 雪に映り込む青。 長い冬が終わろうとする瞬間の青。 冷たさの中に春の気配を孕んだ、透き通るような光。 高橋が描こうとしているのは、色ではなく、その記憶の質感なのである。会場へ足を踏み入れると、壁面いっぱいに広がる青と、空間を漂う無数の白い構造体が静かな呼吸を始める。 絵画と空間は対立することなく、一つの風景となり、鑑賞者を青の内部へと導いていく。 近づくほど、その画面は意外性を帯び始める。 荒々しい表情を持つ表面は、一見すると石やコンクリート、あるいは岩盤のような重量感を漂わせている。 しかし実際に作家が用いている素材は、建築資材の中でも非常に軽量なものだ。 それを削り、溶かし、盛り上げ、切り込みを刻み、独自のマチエールへと変えていく。 そして最後に、作品全体を一気に筆で染め上げる。 巨大な作品であっても途中で筆を止めない。 時間差によるわずかな色の揺らぎさえ排除し、一枚の画面全体を一つの呼吸で成立させるためである。 つまり高橋の作品は、彫刻的に見えながら、その本質は最後まで「描くこと」にある。 だからこれは、レリーフではなく絵画なのである。 興味深いのは、高橋が物質感を強調したいわけではないという点だ。 むしろ逆である。 軽い素材を、あえて重厚に見せる。 そして、その重量感すら最後には青によって溶かし去り、雪の光のような軽やかさへと転換していく。 ここには視覚の逆転がある。 物質は重く見えるほど、青はより軽く感じられる。 高橋俊明が追い求めているのは、素材そのものではなく、その先に立ち現れる「軽さ」なのである。 近年の抽象絵画は、デジタルイメージが氾濫する時代だからこそ、身体が触れた痕跡や素材との対話、制作時間そのものの価値を改めて問い直している。 高橋の仕事もまた、その文脈の中に位置づけられる。 しかし彼は物質性を誇示するのではない。 素材を極限まで身体化した先で、それを忘れさせるほどの軽さへと昇華している。 その点において、高橋俊明の作品は、戦後アンフォルメル以降のマチエールの系譜を受け継ぎながらも、「物質の存在感」ではなく、「物質を超えて知覚される軽さ」へと抽象絵画を更新していると言えるだろう。 《蒼き彼方へ》。 その「彼方」とは遠い風景ではない。私たちが無意識に抱いている「重さ」と「軽さ」の感覚、その境界を静かに越えていく場所である。 高橋俊明の青は、今日もなお、その彼方を静かに照らし続けている。
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山田かの子 「雪脈」
¥15,000
作家名:山田かの子(Kamiko Yamada) 作品名:雪脈 サイズ: 180mm×150mm 額: mm×mm ×mm 技法:水彩 制作年:2026 水、森、雪、霞、そして揺らぐ光。 山田かの子の絵画に描かれる風景は、現実の場所を再現したものではありません。色彩と輪郭は静かにほどけ、現実と夢、現在と記憶をつなぐ境界へと変わっていきます。 作品の前に立つと、風景を見ていたはずの私たちは、いつの間にか自分自身の内側を見つめています。 1981年、千葉県生まれ。 2004年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、卒業制作研究室賞。 2006年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。 自由美術展をはじめ、個展・グループ展で継続的に作品を発表。日常の風景、夢の記憶、水や光の揺らぎを手がかりに、具象と抽象の境界を探究している。 現在、自由美術協会会員。
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桐村茜 「無題」
¥38,000
作家名:桐村 茜(Akane Kirimura) 作品名:無題 サイズ: 145mm×110mm 額: 360mm×260mm ×20mm 技法:ミックスメディア 制作年: 記憶が物質になる瞬間 桐村茜の《無題》は、小品でありながら、一つの宇宙を内包した作品です。 焼け焦げた紙の痕跡、版によって刻まれた線、繊維のほつれを残した布、そして画面に散りばめられたフランス語の断片。 それらは単なる素材の集積ではありません。 まるで長い年月を経た古書の一頁が、記憶そのものへと変容したかのような存在感を放っています。 画面中央をゆるやかに横切る線は、風景を描いているようでいて風景ではなく、文字を書いているようでいて文章でもない。 それは人が何かを思い出そうとする瞬間に現れる、曖昧で不確かな記憶の軌跡そのものです。 「書くこと」と「内なる世界」 作品には * écrire(書く) * à l’intérieur(内側に、内部へ) * 「無語」 という言葉の断片が配置されています。これらは意味を伝達するためのテキストではなく、記憶へ向かうための入口として機能しています。 特に「書くこと」と「内なる世界」という二つの言葉は、桐村の制作全体を象徴する重要なキーワードといえるでしょう。 私たちは記憶を保存していると思いがちです。 しかし実際には、思い出すたびに記憶は書き換えられ、再編集され、新たに生成され続けています。 この作品は、その見えない生成のプロセスを可視化しているかのようです。 糸が描く、時間の地図 画面下部に配置された白い布の断片は、非常に印象的です。 それは湖面に映る樹影のようにも見え、植物の根のようにも見え、あるいは神経細胞のネットワークのようにも見えます。 桐村は長年にわたり、自然界の光と影を糸でトレースする制作を続けてきました。 ここで布は単なる装飾ではなく、「時間が織り上げた痕跡」として存在しています。 その繊維は画面の外へとほつれながら伸びており、完成されたイメージではなく、なお生成し続ける記憶を示唆しています。 これは近年の国際的なアートシーンにおいて重要視されている「プロセスとしての記憶」という考え方とも深く共鳴しています。
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塩路 明子 「イノチ」
¥20,000
作家名:塩路 明子(Shioji Akiko) 作品名:イノチ サイズ: 直径200mm 額: 技法:円形ガラス絵,アキーラ 制作年: 生命が立ち上がる瞬間 塩路明子の《イノチ》は、そのタイトルが示す通り、「生命」という人類普遍の主題を描いた作品です。 しかしここに描かれているのは、植物でも動物でも、人間でもありません。 画面中央に現れる鮮烈な赤い形象は、花の開花にも見え、細胞分裂にも見え、血流にも見えます。 あるいは宇宙のどこかで生まれつつある星雲のようにも見えるでしょう。 その曖昧さこそが、この作品の魅力です。 生命とは本来、特定の姿を持つものではなく、絶えず変化し続けるエネルギーそのものだからです。 円という原初のかたち 本作でまず目を引くのは、支持体そのものが円形であることです。 円は人類最古の象徴の一つであり、古来より太陽、月、循環、宇宙、永遠を意味してきました。 始まりも終わりも持たない形。 その内部で展開される赤と緑、白と水色の流動的なイメージは、生命が誕生し、成長し、変容し続ける循環そのものを思わせます。 四角いキャンバスが世界を切り取る窓だとすれば、この円形作品はむしろ生命の循環へと鑑賞者を引き込む入口です。 ガラスという光の媒体 本作はガラス絵によって制作されています。 ガラス絵は日本では決して一般的な技法ではありませんが、光を透過し反射する特性によって、通常の絵画にはない独特の生命感を生み出します。 作品の前を移動すると、表面はわずかに光を受けながら表情を変化させます。 そのため画面中央の赤は単なる色彩ではなく、まるで脈動する生命体のような存在感を帯びています。 塩路はここで「生命を描く」のではなく、生命そのものが持つエネルギーの振動を画面へ定着させようとしているように見えます。 詩人としての眼差し 塩路明子は画家であると同時に詩人でもあります。 横浜詩人会賞を受賞した詩集『魔法の森』や近作『五感を紡ぐ』に共通しているのは、世界を説明するのではなく、世界の奥にある感覚を呼び覚まそうとする姿勢です。 本作にもその詩的感覚が色濃く表れています。 赤い形象は花のようでありながら花ではなく、生物のようでありながら生物でもない。 それは詩における比喩のように、意味を固定せず、多様な解釈を受け入れます。 だからこそ鑑賞者は、それぞれ異なる「生命」のイメージを見出すことができるのです。 抽象表現と生命のエネルギー 美術史的な観点から見ると、本作は戦後抽象絵画が探求してきた「生命力の可視化」というテーマと響き合っています。 例えば、 ジョアン・ミロ は生命の原初的なエネルギーを記号的な形態へ変換し、 また サム・フランシス は色彩の爆発によって生命の躍動を表現しました。 塩路の作品はそれらの系譜を連想させながらも、より内省的で詩的です。 生命を叫ぶのではなく、静かに呼吸させている。 そこに独自性があります。 現代アートの文脈において 近年の現代美術では、環境問題やテクノロジー、身体性への関心の高まりとともに、「生命とは何か」という根源的な問いが再び注目されています。 本作もまた、その流れの中で読むことができます。 ただし塩路は理論やメッセージを前面に押し出しません。 彼女が提示するのは答えではなく感覚です。 生命とは何か。 その問いに対して作品は説明を拒み、代わりに色彩と形態による体験を差し出します。 見る者はその体験を通じて、自らの中にある生命の記憶と向き合うことになります。 小さな宇宙としての《イノチ》 直径20センチという小さな画面でありながら、本作には驚くほど大きなスケール感があります。 緑と水色が織りなす背景は、大地にも海にも大気にも見えます。 その中心を貫く赤は、血管のようであり、花弁のようであり、誕生の瞬間に放たれる光のようでもあります。 作品の前に立つと、私たちは生命を外から眺めるのではなく、その内部へと招き入れられる感覚を覚えます。 《イノチ》とは、生命を描いた作品ではありません。 生命が生まれ、広がり、変容していく、その永遠の運動を可視化した小さな宇宙なのです。 塩路明子(しおじ あきこ)は、1948年に横浜で生まれ、現在は横須賀市に在住する日本の画家・詩人です。18歳頃から創作活動を始め、1977年に詩画集『蜜蠟』を自費出版しました(当時は旧姓の柴岡明子名義)。画家としては、抽象画を得意とし、2003年以降は主に東京・銀座のギャラリーで個展やグループ展を多数開催しています。2019年には「ARTOLYMPIA 2019」で審査員特別賞(遠藤彰子賞)を受賞しました。また、2012年から2017年までは横須賀・浦賀にて「ギャラリー時舟」を開設・運営し、オーナーとしても活動していました。詩人としては、横浜詩人会の会員であり、詩誌「ぱれっと」の同人でもあります。2022年に刊行した詩集『魔法の森』で第54回横浜詩人会賞を受賞し、その後2025年には最新詩集『五感を紡ぐ』を上梓しています。詩集の表紙絵も自身が手がけるなど、詩と絵画の両方で表現活動を続けている点が特徴です。
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塩路 明子 「必然と偶然」
¥15,000
作家名:塩路 明子(Shioji Akiko) 作品名:必然と偶然 サイズ: 330mm×240mm 額: 技法:キャンパス,和紙,ブルージェッソ,アクリル 青の深淵に現れる、一筋の光 塩路明子の《必然と偶然》は、一見すると極めてシンプルな抽象絵画です。 しかしその前に立つと、深く沈み込むような青の空間の中に、鮮烈な黄色が突如として立ち現れ、静かな緊張感を生み出していることに気づきます。 画面を覆う群青は、海にも空にも見える一方で、そのどちらでもありません。 それは具体的な風景ではなく、私たちの内面に広がる精神の風景です。 その中心に浮かび上がる黄色の形象は、光の柱のようでもあり、人影のようでもあり、あるいはまだ言葉になる前の意識そのもののようにも見えます。 鑑賞者は、その曖昧さの中で自らの記憶や感情と静かに向き合うことになります。 ⸻ 「必然」と「偶然」が交差する場所 本作のタイトル《必然と偶然》は、塩路明子の創作姿勢を象徴しています。 抽象絵画において作家は画面を完全に支配することはできません。 絵具の滲み、乾燥の速度、重なり合う色彩、素材同士の反応。 そこには常に偶然が介在します。 しかしその偶然を受け入れながらも、画面全体は一つの秩序へと収斂していく。 本作において鮮烈な黄色が中央に配置されていることは偶然ではありません。 一方で、その周囲に広がる青の揺らぎや滲みには、素材が生み出した予測不能な出来事が刻まれています。 つまりこの作品は、作家の意思と素材の自律性が出会う場所として成立しているのです。 ⸻ 詩人が描く抽象絵画 塩路明子は画家であると同時に詩人でもあります。 第54回横浜詩人会賞を受賞した詩集『魔法の森』や、近作『五感を紡ぐ』に見られるように、彼女の創作の根底には常に「言葉にならない感覚をどう表現するか」という問いがあります。 そのため彼女の絵画は、何かを説明するための絵ではありません。 むしろ詩と同じように、見る人の感覚や記憶の中で完成される作品です。 画面中央の黄色い形象は、人によっては光に見え、人によっては人物に見えるでしょう。 その解釈の揺らぎこそが、この作品の本質なのです。 ⸻ 抽象表現の系譜の中で 美術史的に見ると、本作は20世紀抽象絵画の重要な流れと接続しています。 特に色彩そのものが精神性を帯びるという考え方は、 ワシリー・カンディンスキー の抽象理論を想起させます。 また、青と黄という対照的な色彩の対話は、 マーク・ロスコ が探求した色彩空間の精神性とも響き合っています。 しかし塩路の作品は、欧米抽象絵画の系譜を単純になぞるものではありません。 そこには和紙という日本的素材が用いられています。 和紙が持つ繊維の柔らかな吸収性は、アクリル絵具の滲みを独特のものに変え、東洋的な余白感覚や呼吸感を画面にもたらしています。 結果として本作は、西洋抽象絵画と日本的感性が自然に融合した現代的な表現として成立しています。 ⸻ 現代アートの文脈から 近年の国際的な現代美術では、物語や政治性を前面に出す作品が増える一方で、再び「知覚そのもの」に立ち返る動きも注目されています。 本作はその流れの中で理解することもできます。 塩路は何かを主張するのではなく、色彩と空間によって鑑賞者の感覚を開こうとしています。 青の奥行きを見つめているうちに、黄色は光となり、存在となり、記憶となる。 その体験は言葉では説明しきれません。 だからこそ、この作品は詩人である塩路明子にしか生み出せない絵画と言えるでしょう。 ⸻ 小品に宿る大きな宇宙 330 × 240 mmというコンパクトな画面でありながら、本作には驚くほど豊かな空間性があります。 深い青は夜明け前の海にも見え、宇宙空間にも見える。 中央の黄色は灯火にも見え、生命の萌芽にも見える。 そこには確定された意味はありません。 しかし確かな存在感があります。 《必然と偶然》とは、人生そのものを語るタイトルでもあります。 私たちは偶然の出会いによって人生を歩みながら、その後に意味を見出し、必然だったと振り返る。 塩路明子は、その人間の営みを、言葉ではなく色彩によって静かに語りかけています。 作品の前に立つとき、鑑賞者は青の深淵の中に浮かぶ一筋の光と出会います。 そしてその光は、見る人それぞれの内側で異なる物語を灯し始めるのです。 塩路明子(しおじ あきこ)は、1948年に横浜で生まれ、現在は横須賀市に在住する日本の画家・詩人です。18歳頃から創作活動を始め、1977年に詩画集『蜜蠟』を自費出版しました(当時は旧姓の柴岡明子名義)。画家としては、抽象画を得意とし、2003年以降は主に東京・銀座のギャラリーで個展やグループ展を多数開催しています。2019年には「ARTOLYMPIA 2019」で審査員特別賞(遠藤彰子賞)を受賞しました。また、2012年から2017年までは横須賀・浦賀にて「ギャラリー時舟」を開設・運営し、オーナーとしても活動していました。詩人としては、横浜詩人会の会員であり、詩誌「ぱれっと」の同人でもあります。2022年に刊行した詩集『魔法の森』で第54回横浜詩人会賞を受賞し、その後2025年には最新詩集『五感を紡ぐ』を上梓しています。詩集の表紙絵も自身が手がけるなど、詩と絵画の両方で表現活動を続けている点が特徴です。 塩路明子(あきこしおじ)は、日本の現代美術界で注目される作家です。彼女の最新作「必然と偶然」は、2023年に制作され、さまざまな感情の交錯を見事に表現しています。この作品は、300mm×400mmのサイズで、絵画が持つ可能性を再確認させてくれる一品です。 「必然と偶然」というタイトルが示すように、本作は二つの相反する概念を潜在的に融合させています。作品の中には無限の解釈が存在しており、観る者はそれぞれの視点から新たな物語を見出すことができるでしょう。 鮮やかな色使いと巧妙な筆致が特徴のこの作品は、多様な形状がダイナミックに配置され、どの角度から見ても異なる印象を与えます。色彩は、明るさと深さが同居し、見る者の目を引きつけます。特に、強い筆圧で描かれた線と、柔らかなグラデーションが交錯する様子は、心の内側の葛藤や静けさをも表しているように感じられます。 塩路のスタイルは、一般的な意味での美を追求するのではなく、存在の本質に迫ることを目指しています。彼女の作品は、形や色が持つ物語を語りかけ、観る者の心に直接訴えかける力を持っています。 本作は、視覚的な美しさだけでなく、観る者の内面的な体験をも促進することでしょう。一定のメッセージを持ちながらも、各々の思考や感情を引き出す、多様性に富んだ作品です。 「必然と偶然」は、その前に立つ人々に、一瞬の静寂と深い思索の時間を与えてくれます。展示空間に置くことで、空間自体の価値を高め、訪れる人々に新たな感覚を呼び起こす、そんな作品であるといえます。 この機会に、塩路明子の「必然と偶然」をぜひご堪能ください!
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束田 薫 「天空散歩」
¥30,000
作家名:束田 薫(Kaoru Tsukada) 作品名:天空散歩 サイズ: 330mm×240mm 額: 370mm×290mm ×30mm 技法:油彩 制作年:2026 淡い光が、ゆっくりと呼吸している。 束田薫の《天空散歩》の前に立つと、まず感じるのは「描かれた画面」ではなく、時間そのものが漂っているような感覚です。 黄、桃、淡い緑、青、褐色。 幾重にも重なる柔らかな色彩は、互いを覆い隠すのではなく、薄い空気の層のように透過し合いながら画面の内部で揺れ続けています。そこに走る無数の縦方向のストロークは、一定の律動を持ちながらも決して均質ではありません。一本ごとにわずかな揺らぎがあり、作家の呼吸や身体の重心移動、描いていた時間の長さまでもが静かに残されています。 近づくほど、その線は「描線」というより、気配へと変わっていきます。 森の奥に差し込む光にも見え、遠くに立ち並ぶ群像にも見える。あるいは空へ向かって伸びる建築の尖塔のようにも感じられる。しかし束田の絵画は、それらを明確な像として固定しません。抽象と具象、その境界が絶えず揺れ続けることで、観る者自身の記憶や感覚を静かに呼び覚ましていきます。 本作において特に印象的なのは、“上昇”と“沈静”が同時に存在している点でしょう。 垂直の線は空へ向かって立ち上がりながら、同時に大地へ根を下ろしているようでもある。軽やかな色彩は浮遊しながら、深部では褐色や黒が画面を支えています。そのため、この小品にはF4というサイズを超えた空間的な深度があります。 美術史的に見るならば、束田の仕事は、戦後抽象絵画が追求してきた「身体の痕跡」と「時間の堆積」の系譜に接続しています。 アクション・ペインティング以後、多くの画家が筆触に身体性を刻み込みましたが、束田の表現は激しいジェスチャーの誇示とは異なります。むしろ反復されるストロークを通じて、静かな持続そのものを画面化している。そこには、ミニマル以後の“反復と差異”の感覚と、日本的な「間」や呼吸感覚が繊細に共存しています。 《天空散歩》という題名は、単なる空想的なイメージではありません。 この作品には、自然を“描く”というより、自然の呼吸に耳を澄ませながら、絵画そのものを自然へ近づけていこうとする感覚があります。見る者は作品を読むのではなく、その前で静かに滞在することになるでしょう。 時間帯や光によって、色はわずかに表情を変えます。 朝には柔らかな気配として、夜には沈黙の深度として。 この作品は、空間を飾るというより、空間の呼吸を変えていく絵画です。
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高木敏行 「月の光の中で」
¥50,000
作家名:高木 敏行(Toshiyuki Takagi) 作品名:月の光の中で サイズ: 240mm×190mm ×50mm 額: 技法:ミクスメディア 制作年:2002 高木敏行(たかぎ としゆき)は、日本の画家であり、特にミクストメディアを用いた作品で知られています。彼の代表作の一つである「月の光の中で」は、2005年に制作され、佐久市立近代美術館に所蔵されています。この作品は、80.5×56.5 cmのサイズで、展覧会「高木敏行展―月の光の中で―」が2005年に東京のK'sギャラリーで開催されました。高木は、2003年から2008年までの間にK'sギャラリーで6回の個展を行い、その作品は多くの人々に愛されました。彼はオシャレで気さくな人柄で、アトリエでは楽しいイベントを開催することでも知られていました。彼の作品は、観る人々に楽しさを提供することを目指しており、特に「マスだ!展」のアイデアは彼から生まれたものでした。残念ながら、高木敏行は数年前に亡くなりましたが、彼の作品や影響は今もなお多くの人々に記憶されています。彼の作品は、佐久市立近代美術館のコレクションの一部として、現代日本美術の重要な一端を担っています。
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新谷友佳子 「あの頃の風 I」
¥39,000
作家名:新谷友佳子(Yukako Shintani) 作品名:あの頃の風 I サイズ: 273mm×220mm 額: 0mm×0mm 技法:パネル、和紙、木炭、チョーク 制作年:2026 新谷友佳子の描く曲線は、単なる抽象的フォルムではない。 それはクラシックピアノの旋律のように、柔らかく、強く、時に鋭く空間を貫きながら、生命の躍動を可視化する線である。 画面を横断する黒と白のうねりは、音楽のフレーズのように連なり、視線を導く。 その一方で、作品に繰り返し現れる黒い柱状の影は、世界に振り下ろされる死、あるいは静かに横たわる死の気配を示唆する。 それは対立ではなく、生と死が同時に存在する構造として提示されている。 本展の根幹をなすのは支持体である。 新谷は和紙をちぎり、幾層にも貼り重ねる。その皺、剥離、繊維の凹凸は隠されることなく、むしろ時間の痕跡として前景化される。 水色や淡いピンクの四角い模様も、描き加えられた装飾ではない。和紙そのものが元来持っていた要素を活かし、素材の履歴と共存させている。 この方法は、素材を単なる媒体とみなすのではなく、素材を時間の地層として扱う姿勢に基づく。 和紙の重なりは記憶の層であり、その上に描かれる曲線は生命の旋律である。そして黒い影は、不可避の終焉を静かに差し込む。 美術史的文脈 和紙という物質性を前面に押し出す姿勢は、戦後日本美術における素材論的探究とも接続する(一般的な理論的参照)。 また、音楽的リズムを線へと転換する試みは、抽象絵画の系譜における視覚と音の相関性の探究を想起させる。 しかし新谷の作品は引用にとどまらない。 近年、物質性と身体性の再評価が進む現代美術の潮流の中で、彼女の実践は「素材の時間」と「存在の主題」を重ね合わせることで、抽象を存在論的領域へと押し広げている。 生命は旋律のように流れ、 死は黒い柱のように佇む。 その間に立ち現れるのは、分断ではなく共存である。
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能勢 寛子 ノンタイトル
¥50,000
作家名:能勢 寛子(Hiroko Nose) 作品名:ノンタイトル サイズ: H300mm x130mmx50mm 技法:布、羊毛、レースなど、手縫い 制作年:2025 能勢寛子(のせ ひろこ)さんは、日本の造形・絵画アーティストで、特に「おぎゃー子」と呼ばれる人形作品で知られています。彼女は神戸出身で、これまでに多くの個展やグループ展を開催してきました。主な活動と展示歴個展: 能勢さんは、2003年から2024年にかけて、神戸や大阪のギャラリーで数回の個展を行っています。最近では、2024年3月29日から4月8日までGALLERY 301で個展が予定されています[1][2]。作品の特徴: 彼女の作品は、シンプルなデザインの人形である「おぎゃー子」に代表され、白い布で赤子を模したものです。これらの作品は、装飾が施されていないため、観る人に強い印象を与えます[1][12]。グループ展: 能勢さんは、1999年から2023年までの間に、さまざまなグループ展にも参加しており、特に神戸を中心に活動しています[1]。アートスタイルと影響能勢寛子さんの作品は、現代アートの文脈の中で、伝統的な要素と現代的な感覚を融合させたものとされています。彼女の作品は、観る人に感情的な反応を引き起こすことを目的としており、特に「おぎゃー子」は、親しみやすさと同時に深いメッセージを持っています[8]。このように、能勢寛子さんは日本のアートシーンにおいて独自の位置を占めており、今後の活動にも注目が集まっています。
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白木ゆり 活き活きリズム
¥7,000
作家名:白木 ゆり(Yuri Shiraki) 作品名:活き活きリズム 額縁サイズ: H95mm xW95 mmx20mm サイズ:70mm x70mm 技法:アキーラ 制作年:2025〜2026 白木ゆり(しらき ゆり)は、日本の画家であり、特に銅版画の分野で知られています。彼女は1966年に東京で生まれ、女子美術大学で洋画を専攻した後、多摩美術大学で版画を学びました。彼女の作品は、視覚だけでなく聴覚や触覚など、五感をテーマにしたものが多く、特に「音」をテーマにしたシリーズが評価されています。 経歴と活動 * 学歴: * 1987年: 女子美術短期大学造形科卒業 * 1989年: 女子美術大学芸術学部洋画専攻卒業 * 1991年: 多摩美術大学造形学部版画科研究生修了 * 受賞歴: * 1999年: 現代日本美術展で和歌山県立近代美術館賞受賞 * 1999年: 銅版画国際トリエンナーレでルビン市長賞受賞 * 2000年: 青島国際版画ビエンナーレで奨励賞受賞 * 個展とグループ展: * 彼女は数多くの個展やグループ展に参加しており、東京国立近代美術館や和歌山県立近代美術館などに作品が収蔵されています。 作品の特徴 白木の作品は、目には見えないものを視覚化することを目指しており、特に「音」や「香り」といったテーマを扱っています。彼女は、銅版画を通じて、音の感覚を視覚的に表現することに挑戦しています。彼女の作品には、音楽や自然の音を感じさせる要素が多く含まれており、観る者に新たな感覚体験を提供します。 教育活動 白木ゆりは、銅版画工房を主宰し、アート教育にも力を入れています。彼女は、銅版画の技術を広めるためのワークショップを開催し、多くの人々にその魅力を伝えています。 このように、白木ゆりは日本の現代美術において重要な存在であり、彼女の作品は多くの人々に影響を与え続けています。
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白木 ゆり 咲き見々
¥7,000
作家名:白木 ゆり(Yuri Shiraki) 作品名:咲き見々 額縁サイズ: H160mm xW160 mmx26mm サイズ:70mm x70mm 技法:アキーラ 制作年:2004〜2026 白木ゆり(しらき ゆり)は、日本の画家であり、特に銅版画の分野で知られています。彼女は1966年に東京で生まれ、女子美術大学で洋画を専攻した後、多摩美術大学で版画を学びました。彼女の作品は、視覚だけでなく聴覚や触覚など、五感をテーマにしたものが多く、特に「音」をテーマにしたシリーズが評価されています。 経歴と活動 * 学歴: * 1987年: 女子美術短期大学造形科卒業 * 1989年: 女子美術大学芸術学部洋画専攻卒業 * 1991年: 多摩美術大学造形学部版画科研究生修了 * 受賞歴: * 1999年: 現代日本美術展で和歌山県立近代美術館賞受賞 * 1999年: 銅版画国際トリエンナーレでルビン市長賞受賞 * 2000年: 青島国際版画ビエンナーレで奨励賞受賞 * 個展とグループ展: * 彼女は数多くの個展やグループ展に参加しており、東京国立近代美術館や和歌山県立近代美術館などに作品が収蔵されています。 作品の特徴 白木の作品は、目には見えないものを視覚化することを目指しており、特に「音」や「香り」といったテーマを扱っています。彼女は、銅版画を通じて、音の感覚を視覚的に表現することに挑戦しています。彼女の作品には、音楽や自然の音を感じさせる要素が多く含まれており、観る者に新たな感覚体験を提供します。 教育活動 白木ゆりは、銅版画工房を主宰し、アート教育にも力を入れています。彼女は、銅版画の技術を広めるためのワークショップを開催し、多くの人々にその魅力を伝えています。 このように、白木ゆりは日本の現代美術において重要な存在であり、彼女の作品は多くの人々に影響を与え続けています。
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島田 節子 「TEI–雲のメモ」
¥23,000
作家名:島田 節子(Setuko Shimada) 作品名:TEI–雲のメモ サイズ: 450mm×325mm 額: 560mm×440mm 技法:ダーマトグラフ、リトクレヨン、解墨 制作年:2003 《TEI–雲のメモ》は、島田節子が長年にわたり探究してきた「線と思考」「記憶と知覚」の関係を、きわめて凝縮されたかたちで提示する作品です。雲のように定形を持たず、常に形を変え続ける存在を“メモ”として留めるというタイトルが示す通り、本作は完成された像を描くのではなく、意識の表層に一瞬あらわれては消えていく思考の痕跡を捉えようとしています。 淡い地色の層の上に重ねられた繊細な線は、対象を明確に描写するためのものではありません。むしろそれらは、記憶の断片、視覚の残像、あるいは言語化される以前の感覚として画面に漂います。線は時に幾何学的な秩序を示唆し、時に有機的な揺らぎを帯びながら、見る者の視線を静かに彷徨わせます。この不確かさこそが、《TEI–雲のメモ》の本質であり、鑑賞者自身の内面を呼び覚ます余白となっています。 島田の制作は、数多くのスケッチを重ねるプロセスから始まります。それは完成像を先取りする行為ではなく、描くこと=考えること=見ることが同時に進行する時間の堆積です。本作の画面には、その過程で生まれたためらいや確信、思考の跳躍がそのまま刻まれ、ひとつの時間的風景を形成しています。450×325mmという親密なサイズは、観る者を作品に引き寄せ、静かな対話を可能にします。 美術史的に見れば、島田節子の仕事は、戦後日本美術における抽象表現の流れの中に位置づけられますが、身体的ジェスチャーの強度を前面に出す表現や、物質性を主張する潮流とは一線を画しています。むしろ彼女の作品は、ヨーロッパの叙情的抽象や版画表現の系譜と呼応しつつ、線が思考へと限りなく近づく瞬間を追求している点に独自性があります。 推測ですが、《TEI–雲のメモ》における抑制された色彩と余白の扱いは、意味を固定することを避け、鑑賞者それぞれの記憶や感情が自然に立ち上がるための装置として機能しているのでしょう。この作品は、強いメッセージを語るのではなく、日常の中でふと立ち止まる時間を与えてくれます。繰り返し向き合うことで、その都度異なる表情を見せる――まさに長く寄り添うための作品です。 作家略歴(確認できる事実) • 1947年 宮崎県生まれ • 1970年 武蔵野美術大学短期大学部 油絵科卒業 • 1971年 同大学 油絵専攻科修了 • 1973年 モナコ現代美術展 出品 • 日本版画協会展、春陽会展、ほか国内外の展覧会に参加 • 1998年以降、名古屋 ギャラリーA・C・S にて継続的に個展開催 • 2024年12月 個展開催(2018年以来、約6年ぶり)
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安田 薫 「水の記憶」
¥30,000
作家名:安田 薫(Kaoru Yasuda) 作品名: 水の記憶 サイズ: 455mm× 275mm ×20mm 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨 制作年:2025 安田薫は、日本画の伝統に深く根ざしながらも、その技法を現代的に拡張する画家である。 1971年金沢市生まれ。金沢美術工芸大学日本画専攻を卒業し、武蔵野美術学園日本画研究科でさらに研鑽を積んだ。以来、風景や自然の造形性を手がかりに、独自の抽象表現を追求してきた。 安田は、作家ステートメントにある通り、 「日本の画材や技法を用い、風景から得たイメージを再構成する」 姿勢を一貫している。 日本画材を基盤としながらも、 「線」「滲み」「余白」 を徹底的に構造化した “現代の風景画” と呼ぶべきものである。 技法とマチエール――日本画材を媒介にした「にじみの構築」 • 墨による線の反復 • 吸い込みや滲みによる濃淡のグラデーション • 和紙または和紙系支持体(推測ですが)特有の発色と浸透の差 • 乾湿の時間差を利用した「かすれ」「引きずり」「滲み止めの痕」が連続し、日本画の伝統技法を“構造的な抽象”へ転換する方法論が読み取れる。 このアプローチは、戦後日本画の実験(例えば髙山辰雄や加山又造の質感探索)と、現代のドローイング的抽象、さらにモノクローム絵画の国際的潮流とも緩やかに接続している。 しかし安田の作品では、筆跡そのものよりも “滲みがつくる空間” に主眼がある点が特徴的である。 作品群に共通するのは、厳密な線と、制御された滲みが併存していることである。 • 垂直に落ちる墨の筋 • 格子のように交わる平行線 • 染みのように広がる曖昧な濃淡 • 水面や霧を思わせる揺らぎ これらは、日本的風景を直接描いたものではなく、 風景から感じ取られた「気配」だけを抽出した抽象構造である。 本作品の液体の時間を描く絵画 「水の記憶」とは 世界的には近年、 • 墨を用いたコンテンポラリー・インクアート • 物質の流動性を扱うペインティング • 反復線による構造的ミニマリズム が注目されている(出典:国際展動向/墨表現の現代化に関する一般的研究)。 安田の作品は、この潮流において 「液体が描く時間=fluid time」 を可視化する絵画として位置づけられる。 滲みは偶然ではなく、 湿度・紙質・濃度・速度といった複数の条件が交差して現れる“現象”である。 安田はその現象を受け入れながらも、線を重ねることで秩序を与え、 自然現象と人為的構造が拮抗する緊張感 を作品に宿らせている。 墨の流れは水のように自由でありながら、線の重なりは建築的とも言えるほど精密。 柔らかさと厳密さが対等に存在することで、作品全体が “静かな息づかいをもつ構造物” のように感じられる。 安田は自然の形をそのまま描くのではなく、自然のリズム・呼吸・時間の流れを、墨の現象として再構成している。その結果、作品は風景の外側ではなく、風景の内側に潜む抽象的秩序を私たちに見せる。 鑑賞者が作品の前に立つと、 墨の滲みが「水音」のように、 線の反復が「風の振動」のように、 静かに身体へ入り込んでくる。 安田薫の絵画とは、 自然と人間の間にある “見えない呼吸”を映し出す鏡なのかもしれない。
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牧 秀子 「ありんこの迷路」
¥10,000
作家名:牧 秀子(Hideko Maki) 作品名: ありんこの迷路 サイズ: 240mm×145mm 額: 385mm×275mm ×35mm 技法:油彩・水彩・蜜蝋 制作年:2025 牧秀子は、生命の起源と循環を長年にわたり探求してきた画家である。 石川県金沢市に生まれ、独学で絵画表現を深めながらも、蜜蝋技法については作家・田鎖幹夫氏から指導を受け、多様な素材を自在に行き来する独自の表現を発展させてきた。 油彩・水彩・蜜蝋などを重層的に扱いながら、唯一無二のマチエールを構築している。 近年、世界的に「物質性(マテリアリティ)」を再考する絵画が注目されている。 絵具そのものが大地の成分として扱われ、時間・風化・堆積を表す作品が増えている(出典:一般的国際動向)。 牧の作品もこの潮流と響き合い、 • 物質の痕跡を刻む絵画 • 地質学的アプローチ(geological abstraction) • 錬金術的な色面の生成 といった系譜に位置づけられる。 しかし、牧秀子の絵画の核には、常に “生命への眼差し” がある。 それは、アンセルム・キーファーの重厚な神話的世界とも、 もの派の「自然と物質の関係性」とも異なり、 もっと個人的で、静かで、温かい。 牧の絵画は、視覚的なイメージ以上のものを私たちに与える。 それは、触覚に訴え、匂いを喚起し、音まで聞こえてくるような「総合的な存在」である。
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深尾 良子 「流れるのは時だけ」
¥80,000
作家名:深尾 良子(Ryoko Fukao) 作品名: 流れるのは時だけ サイズ: 460mm×380mm 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:水性アルキド 制作年:2025 深尾良子の絵画は、風景を描くのではなく、すでに私たちの内側に存在している風景を呼び覚ます。 一見すると静かで簡潔だが、その下には時間の層が幾重にも積み重なり、わずかな線や揺らぎが呼吸するように立ち上がる。 今回の展示で特に際立つのは、彼女が用いている 水性アルキド という素材の存在感である。 水性アルキドは乾燥の過程に独特の「しなやかさ」を残し、半乾きの段階で指先や道具による介入を可能にする。その結果、深尾が行う重ねる・削る・擦る・刻むという一連の行為が、まるで地層から記憶を掘り起こすような深度を画面に与えている。 アルキド独自の落ち着いた光沢と柔らかな硬さは、アクリルの均質さとは異なり、 “半分だけ残された痕跡” を画面にとどめる。この曖昧で豊かな質感こそが、深尾の抽象風景に「沈黙の中の時間」を宿らせている。 彼女は「私は私の作品についてわかりません」と語る。 それは謙遜でも曖昧さでもなく、作品が鑑賞者との対話の中で“更新され続ける”ことをよく知っているからだ。 彼女の作品は意味を押しつけず、鑑賞者自身の内側に眠っていた記憶や感情を静かに引き寄せる。 ■ 技法とマチエール ― 水性アルキドが生む「やわらかな地層」 深尾の制作は、指で塗り込むことから始まる。 水性アルキドを何層も重ね、乾きかけた柔らかな段階で、 削り、擦り、引っかき、研ぎk出し を行うことで、下層の色がほのかに姿を見せ始める。 この素材によるレイヤーの“溶け合わない接触”は、 • 削った跡のかすかな残響 • 微妙ににじむ境界線 • 消え入りそうで消えない淡い色の揺れ といったニュアンスをつくりだし、画面に「時間のたまり」を生んでいる。 それは日本の“余白の美”とも呼応し、ミニマリズムの静けさとも重なりながら、決して冷たくはならない。 むしろ、画家の体温がじわりと残る——そんな質感である。 深尾の作品の前に立つと、まず「静けさ」が訪れる。 しかしその静けさは停止ではない。 むしろ、夜明け前の空気のように、 見えない時間がゆっくりと流れ続けている気配 が立ち上がる。 大きな色面は重心となり、小さな線は揺らぎ、光が差すような三角形や、遠景へ向かうような暗部は、“どこかで見たことのある風景”を思い出させる。 それは再現された風景ではなく、 “心の中に残っていた風景が再構成された姿” である。 ミニマルな構造でありながら、決して無機質ではない。 指跡、傷、曖昧な境界……そのすべてが、作家の時間と体温の痕跡として画面に残る。 そのため鑑賞者は作品を“観る”というより、 “聴く”ように作品を受け取る。 深尾良子が長年望んできた「音楽のような絵」は、今回の展示で確かに形を得ている。 低音のように響く暗い色面、震える線の旋律、滲む光のハーモニー。 作品は語らないが、沈黙の奥で止まらないリズムを奏でている。 最終的に、深尾の絵画は外の世界を描くのではなく、 鑑賞者自身がどこかに置き忘れてきた“内なる風景”へと静かに帰っていく場 を提供する。 それこそが、彼女の作品が静かでありながら深く心に残る理由である。
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さとう みゆ 「里山の色々」
¥60,000
作家名:さとう みゆ(Miyu Sato) 作品名: 里山の色々 サイズ: 320mm×410mm F6 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:アクリル 制作年:2025 60000 さとうみゆの近作《里山の色々》シリーズは、ひとつひとつの画面が「風景」でありながらも、単なる風景画ではない。そこに描かれているのは、山や森の姿そのものではなく、「生命がその場に存在するという事実」の痕跡である。 作家は、キャンバスに重ねられた無数の筆致と擦れ、滲み、刻印のような線を通して、自然と人間の境界を曖昧にし、「生きている」という状態を抽象的な言語で描き出している。 画面はマットでありながら深い層を持つ。土や苔、霧のような色のグラデーションが幾重にも重なり、その奥に微かに現れる丸や線、記号的なモチーフは、まるで土中で蠢く微生物の呼吸や、風の通り抜けたあとの記憶のようだ。 それは偶然の抽象ではなく、「生態系としての絵画」と呼ぶべき構造を備えている。 一見すると静謐だが、内部では無数の生命の鼓動が共鳴しており、観る者の意識もそのリズムの中に取り込まれていく。 シリーズ全体を通して、タイトルが「里山の色々」と連番で記されていることにも作家の思想が現れている。ナンバリングは序列ではなく、すべての存在が等価であるという生命観の表れである。 彼女にとって「里山」とは、単なる風景の場所ではなく、「人と自然、記憶と時間が織り重なった意識の地層」であり、絵画行為そのものが祈りのような行為となっている。 その表現態度は、20世紀後半の抽象表現主義やアンフォルメル、さらには近年のエコロジカル・アートの流れとも共鳴する。マチエールの中に滲む有機的な抽象は、東洋的な余白と西洋的なマテリアリズムの融合点にあり、「見る」ことを超えて「聴く」絵画として現代に響いている。 さとうの作品は、私たちが日常の中で見過ごしている微細な生命の声、目には見えない呼吸を可視化する。 その絵画空間に身を置くとき、私たちは静かに問われる—— 「あなたの中の里山は、まだ息づいていますか?」
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多田吉民 「けぶる」
¥20,000
作家名:多田吉民(Yoshitami Tada) 作品名:けぶる サイズ: 270mm×270mm 額: 技法:ボールペン 制作年:2025 1968年東京都生まれの多田吉民(Yoshitami Tada)は、ボールペンと銅版画という二つの技法を行き来しながら、点が生成する世界を描く画家である。 多田はこう語る。 「線を引くと制約が確定されてしまう。点故に自由に広げられるから楽しい。」 「何を描こうとは考えず、浮かび上がるものと対話しながら進めていく。」 その言葉通り、彼の画面には「描こうとしたもの」の輪郭はない。 無数の点が空気の粒のように漂い、密度の変化だけで雲の重量・光の屈折・球体の誕生を形づくっていく。 線のような指向性はなく、しかし確実に「現象」が立ち上がってくる。 点描がつくる《白い宇宙》 「白の領域」を大きく残しながら、周縁の点描が物質的な雲塊や光の渦を形成している。 白は余白ではなく、誕生の場・光の核・出来事の中心として機能する。 • 胎動するような球体 • 雲海の裂け目 • 空へと昇っていく光の柱 • 海霧のように漂う渦の流れ いずれも線ではなく“点の意志”が生んだ形態である。 その姿は、スーラの光学的点描、草間彌生の無限の網、あるいは戦後日本の具体美術が示した「手が先に動き、世界があとから立ち現れる」という原理と緩やかに重なりながら、より静かで、より宇宙的な生成の気配を帯びている。 多田吉民の作品は抽象だが、無機的ではない。 球体は“記憶の核”のように脈動し、雲は時間を抱え、黒の濃淡は深海や空の層のような深さを持つ。 それは作家の意図というより、点から生まれた“現象”を観る者が物語として受け取ることによってはじめて完成する。 今日のアートシーンでは、AI生成や計算モデルを用いた「生成絵画」が注目されているが、多田の作品はその逆、 “身体の生成性によるアナログの生成絵画” である。 一点一点が人の手によって置かれたにもかかわらず、アルゴリズムが生んだような有機的な流れが立ち上がる点で、彼の作品は現代的な感覚とアナログ手法の両方を内包している。 多田吉民が 「点描」という原始的技法を、宇宙的スケールの抽象へと拡張する稀有な作家であるという事実だ。 白く広がる画面に、黒い点の雲が静かに呼吸し、球体が誕生し、風景が立ち上がる。 それは自然を模倣した絵画ではなく、 “点によって世界が生成する瞬間” そのものを描いた絵画である。
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平澤重信 「ウサギの家はどこですか」
¥70,000
作家名:平澤 重信(Jyushin Hirasawa) 作品名:ウサギの家はどこですか サイズ: 395mm×320mm 額: 490mm×415mm ×30mm 技法:ミクストメディア 制作年:2004 平澤重信(ひらさわ じゅうしん)は、日本の画家であり、1948年に長崎市で生まれました。彼は多摩美術大学を卒業後、1971年に日本大学農獣医学部を卒業していますが、以降は美術の道に進みました。彼の作品は、主に油彩やミクストメディアを用いており、特に自転車をテーマにした作品が多いことが特徴です。平澤は「世の中この程度の速さでいいという自分の中の願望」を表現していると述べています。主な展覧会と受賞歴平澤重信は、1981年から毎年「自由美術展」に出品しており、1990年には同展で靉光賞を受賞しました。また、彼は「文化庁現代美術選抜展」や「現代日本美術展」など、数多くの重要な展覧会に参加しています。彼の作品は、個展やグループ展を通じて広く展示されており、特に近年では武蔵野美術大学の非常勤講師としても活動しています。作品のスタイルとテーマ平澤の作品は、抽象的な要素と具体的なテーマを融合させたスタイルが特徴です。彼は「いびつで不完全で愛おしい」という人間の本質を描くことに重点を置いており、観る者に深い感情を呼び起こす作品を創り出しています。彼の代表作には、「さかな」や「きょうがきのうに」などがあり、これらはそれぞれ異なる技法とテーマで表現されています。平澤重信は、現代日本の美術シーンにおいて重要な存在であり、彼の作品は多くの人々に影響を与え続けています。
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勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」
¥120,000
作家名:勝間田 弘幸(Hiroyuki Katsumasa) 作品名:花ふふむ(蕾) サイズ: 606×410mm M12 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨、油彩 制作年:2004 勝間田弘幸(かつまだ ひろゆき)氏は、日本の現代画家であり、特に墨を用いた抽象画で知られています。彼は1947年に東京で生まれ、独学で絵画を学びました。彼の作品は、伝統的な日本のモチーフと現代的な要素を融合させたもので、特に「花ふふむ(蕾)」シリーズが有名です。このシリーズは、ベルギーやイタリア、アメリカのアートフェアで高い評価を受けています。勝間田氏は、油彩画の限界を感じた後、偶然手元にあった墨を使って新たな表現方法を見出しました。彼の作品は、無意識の表現を追求し、観る者に深い感動を与えることを目指しています。彼は、芸術と科学、自然との関係についても考察を行い、作品を通じて人間の魂や感情を探求しています。また、勝間田氏は国際的なアートフェスティバルにも参加しており、彼の作品は多くのギャラリーや美術館で展示されています。彼のアートは、視覚的な美しさだけでなく、観る者に思索を促す深いメッセージを含んでいます。 勝間田弘幸氏の「花ふふむ(蕾)」シリーズは、彼の芸術的探求の中で生まれた重要な作品群であり、主に「生命の象徴」としてのテーマを持っています。このシリーズは、彼が長年の油彩画による表現の限界を感じ、墨を用いた新たなアプローチを試みた結果、誕生しました。テーマの核心:生命と再生: 「花ふふむ(蕾)」というタイトル自体が、花の蕾を象徴しており、生命の誕生や成長、再生の過程を表現しています。蕾は、開花する前の状態を示し、潜在的な可能性を秘めています。精神のビッグバン: 勝間田氏は、このシリーズを通じて「精神のビッグバン」という概念を提唱しており、作品が観る者に深い感動を与え、精神的な覚醒を促すことを目指しています。無意識の表現: 彼の作品は、無意識の領域から生まれるものであり、観る者に直感的な反応を引き起こすことを意図しています。これは、彼が追求する「意味を消していく」プロセスとも関連しています。このように、「花ふふむ(蕾)」シリーズは、生命の本質や精神的な探求をテーマにした作品であり、勝間田氏の独自の視点と技法が融合したものとなっています。
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勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」
¥120,000
作家名:勝間田 弘幸(Hiroyuki Katsumasa) 作品名:花ふふむ(蕾) サイズ: 606×410mm M12 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨、油彩 制作年:2004 勝間田弘幸(かつまだ ひろゆき)氏は、日本の現代画家であり、特に墨を用いた抽象画で知られています。彼は1947年に東京で生まれ、独学で絵画を学びました。彼の作品は、伝統的な日本のモチーフと現代的な要素を融合させたもので、特に「花ふふむ(蕾)」シリーズが有名です。このシリーズは、ベルギーやイタリア、アメリカのアートフェアで高い評価を受けています。勝間田氏は、油彩画の限界を感じた後、偶然手元にあった墨を使って新たな表現方法を見出しました。彼の作品は、無意識の表現を追求し、観る者に深い感動を与えることを目指しています。彼は、芸術と科学、自然との関係についても考察を行い、作品を通じて人間の魂や感情を探求しています。また、勝間田氏は国際的なアートフェスティバルにも参加しており、彼の作品は多くのギャラリーや美術館で展示されています。彼のアートは、視覚的な美しさだけでなく、観る者に思索を促す深いメッセージを含んでいます。 勝間田弘幸氏の「花ふふむ(蕾)」シリーズは、彼の芸術的探求の中で生まれた重要な作品群であり、主に「生命の象徴」としてのテーマを持っています。このシリーズは、彼が長年の油彩画による表現の限界を感じ、墨を用いた新たなアプローチを試みた結果、誕生しました。テーマの核心:生命と再生: 「花ふふむ(蕾)」というタイトル自体が、花の蕾を象徴しており、生命の誕生や成長、再生の過程を表現しています。蕾は、開花する前の状態を示し、潜在的な可能性を秘めています。精神のビッグバン: 勝間田氏は、このシリーズを通じて「精神のビッグバン」という概念を提唱しており、作品が観る者に深い感動を与え、精神的な覚醒を促すことを目指しています。無意識の表現: 彼の作品は、無意識の領域から生まれるものであり、観る者に直感的な反応を引き起こすことを意図しています。これは、彼が追求する「意味を消していく」プロセスとも関連しています。このように、「花ふふむ(蕾)」シリーズは、生命の本質や精神的な探求をテーマにした作品であり、勝間田氏の独自の視点と技法が融合したものとなっています。
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勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」
¥100,000
勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」 作家名:勝間田 弘幸(Hiroyuki Katsumasa) 作品名:花ふふむ(蕾) サイズ: 530×455mm F10 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨、油彩 制作年:2005 勝間田弘幸(かつまだ ひろゆき)氏は、日本の現代画家であり、特に墨を用いた抽象画で知られています。彼は1947年に東京で生まれ、独学で絵画を学びました。彼の作品は、伝統的な日本のモチーフと現代的な要素を融合させたもので、特に「花ふふむ(蕾)」シリーズが有名です。このシリーズは、ベルギーやイタリア、アメリカのアートフェアで高い評価を受けています。勝間田氏は、油彩画の限界を感じた後、偶然手元にあった墨を使って新たな表現方法を見出しました。彼の作品は、無意識の表現を追求し、観る者に深い感動を与えることを目指しています。彼は、芸術と科学、自然との関係についても考察を行い、作品を通じて人間の魂や感情を探求しています。また、勝間田氏は国際的なアートフェスティバルにも参加しており、彼の作品は多くのギャラリーや美術館で展示されています。彼のアートは、視覚的な美しさだけでなく、観る者に思索を促す深いメッセージを含んでいます。 勝間田弘幸氏の「花ふふむ(蕾)」シリーズは、彼の芸術的探求の中で生まれた重要な作品群であり、主に「生命の象徴」としてのテーマを持っています。このシリーズは、彼が長年の油彩画による表現の限界を感じ、墨を用いた新たなアプローチを試みた結果、誕生しました。テーマの核心:生命と再生: 「花ふふむ(蕾)」というタイトル自体が、花の蕾を象徴しており、生命の誕生や成長、再生の過程を表現しています。蕾は、開花する前の状態を示し、潜在的な可能性を秘めています。精神のビッグバン: 勝間田氏は、このシリーズを通じて「精神のビッグバン」という概念を提唱しており、作品が観る者に深い感動を与え、精神的な覚醒を促すことを目指しています。無意識の表現: 彼の作品は、無意識の領域から生まれるものであり、観る者に直感的な反応を引き起こすことを意図しています。これは、彼が追求する「意味を消していく」プロセスとも関連しています。このように、「花ふふむ(蕾)」シリーズは、生命の本質や精神的な探求をテーマにした作品であり、勝間田氏の独自の視点と技法が融合したものとなっています。
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勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」
¥120,000
勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」 作家名:勝間田 弘幸(Hiroyuki Katsumasa) 作品名:花ふふむ(蕾) サイズ: 606×410mm M12 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨、油彩 制作年:2004 勝間田弘幸(かつまだ ひろゆき)氏は、日本の現代画家であり、特に墨を用いた抽象画で知られています。彼は1947年に東京で生まれ、独学で絵画を学びました。彼の作品は、伝統的な日本のモチーフと現代的な要素を融合させたもので、特に「花ふふむ(蕾)」シリーズが有名です。このシリーズは、ベルギーやイタリア、アメリカのアートフェアで高い評価を受けています。勝間田氏は、油彩画の限界を感じた後、偶然手元にあった墨を使って新たな表現方法を見出しました。彼の作品は、無意識の表現を追求し、観る者に深い感動を与えることを目指しています。彼は、芸術と科学、自然との関係についても考察を行い、作品を通じて人間の魂や感情を探求しています。また、勝間田氏は国際的なアートフェスティバルにも参加しており、彼の作品は多くのギャラリーや美術館で展示されています。彼のアートは、視覚的な美しさだけでなく、観る者に思索を促す深いメッセージを含んでいます。 勝間田弘幸氏の「花ふふむ(蕾)」シリーズは、彼の芸術的探求の中で生まれた重要な作品群であり、主に「生命の象徴」としてのテーマを持っています。このシリーズは、彼が長年の油彩画による表現の限界を感じ、墨を用いた新たなアプローチを試みた結果、誕生しました。テーマの核心:生命と再生: 「花ふふむ(蕾)」というタイトル自体が、花の蕾を象徴しており、生命の誕生や成長、再生の過程を表現しています。蕾は、開花する前の状態を示し、潜在的な可能性を秘めています。精神のビッグバン: 勝間田氏は、このシリーズを通じて「精神のビッグバン」という概念を提唱しており、作品が観る者に深い感動を与え、精神的な覚醒を促すことを目指しています。無意識の表現: 彼の作品は、無意識の領域から生まれるものであり、観る者に直感的な反応を引き起こすことを意図しています。これは、彼が追求する「意味を消していく」プロセスとも関連しています。このように、「花ふふむ(蕾)」シリーズは、生命の本質や精神的な探求をテーマにした作品であり、勝間田氏の独自の視点と技法が融合したものとなっています。
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勝間田 弘幸 「花ふふむ(蕾)」
¥150,000
作家名:勝間田 弘幸(Hiroyuki Katsumasa) 作品名:花ふふむ(蕾) サイズ: 652mm×530mm F15 額: 0mm×0mm ×0mm 技法:墨、油彩 制作年:2008 勝間田弘幸による《花ふふむ(Flower Buds)》は、墨と油彩の融合によって生まれた独自の抽象絵画である。画面全体を包み込むような螺旋的構成は、まるで宇宙の生成や銀河の回転を想起させつつも、タイトルが示す「蕾(つぼみ)」という有機的モチーフを内包している。ここにあるのは、生命の萌芽と宇宙的循環のイメージが共鳴する瞬間である。 墨の濃淡によって生まれる流動的なグラデーションは、東洋絵画における「気韻生動(Qi Yun Sheng Dong)」の理念を想起させるが、勝間田はその伝統を引用するだけでなく、現代的抽象の文脈において再構築している。墨という偶然性と油彩という物質性の共存は、静と動、生成と消滅という二項の緊張を孕みながら、見る者の意識の深層に働きかける。 テーマ:生命の予兆としての「ふふむ」 「花ふふむ(蕾)」とは、開花を目前に控えた生命の緊張と期待の象徴である。 勝間田は、開く直前の「まだ形を持たぬ力」の在り処に惹かれ、その潜在的なエネルギーを墨の滲みと筆致の旋回運動に託した。画面中央に生じる淡い光の渦は、生命が誕生する刹那、あるいは精神の覚醒=「精神のビッグバン」のような象徴的瞬間を暗示している。 彼の作品において「意味を消していく」過程とは、外界の再現から離れ、純粋な感覚の発露としての絵画へ回帰する行為である。そこには、禅的な「無」や「空」の概念が静かに息づいている。 技法と素材の対話 勝間田はもともと油彩画家として活動していたが、物質的な絵具の重層性に限界を感じ、ある日偶然手にした墨に新たな可能性を見出した。墨の滲みや乾きが生み出す偶然の造形は、意識的な描写を超えた領域——無意識と自然の協働——を提示する。 本作では、中国墨の流動性と油彩の定着性が絶妙に混ざり合い、画面に「呼吸」を与えている。 アート史的文脈 勝間田のアプローチは、1950年代以降の「もの派」や「アンフォルメル」、あるいはアメリカ抽象表現主義の中でポロックが示した身体的な筆致とは異なり、「身体の軌跡」ではなく「素材そのものの変化」に主眼を置いている点に特徴がある。 それは、東洋的自然観と現代アートの抽象性を架橋する試みであり、戦後日本美術が追求してきた「見ること/描くこと」の哲学的対話の延長線上に位置づけられる。 ⸻ ✨ 総評 《花ふふむ(Flower Buds)》は、単なる抽象表現を超え、生命の誕生、宇宙の循環、精神の覚醒といった普遍的テーマを、墨と油彩という異質な素材の融合によって可視化した傑作である。 その渦巻く白と黒の呼吸のなかに、観る者は自らの内なる原初的記憶——まだ言葉になる前の「感覚の芽吹き」——を見出すだろう。